2019年に英王室の公務から退き、事実上の引退状態だったアンドリュー王子。素行の悪さで名誉は地に落ち、先はひっそりと目立たずに過ごすしか道はなかったが、そんな“逃げ”は許されなかったようだ。【写真】「ヨーク公爵」から「アンドリュー王子」に…早速更新された英王室の公式サイト
アンドリュー王子は17日に発表した声明で、「協議の結果、私に対する継続的な非難は、陛下(国王)と王室にとって公務の妨げとなるとの結論に至った」として、「私は今後、自身の称号と授与された名誉(職)を使用しない」と明言した。
「自身の称号と授与された名誉(職)」とは、故エリザベス女王から与えられた貴族称号「ヨーク公爵」と、名誉の中でも最上級である「ガーター騎士団」のコンパニオン(メンバー)資格である。
ただし、公爵位の法的な剥奪には議会での法案承認が必要となるため、現時点では放棄を宣言した状態だ。議会が動くかは定かではなく、故エリザベス女王の次男である事実は変わらないことから「王子」は保持される。先の声明も名義は「アンドリュー王子」だった。
「王室の対応が遅すぎた」という声はあるが、結果としてアンドリュー王子は段階的に“追放”されたことになる。追放の主要因とは、米富豪のジェフリー・エプスタイン元被告にまつわる「エプスタイン事件」だ。エプスタイン元被告は、18歳以下の少女たちを性的目的で人身売買した容疑で起訴され、裁判前の2019年に拘留先で死亡した。
エプスタイン元被告の友人だったアンドリュー王子には、彼の仲介で2001年当時17歳だったバージニア・ジュフリーさんに行為を3度強要したという“疑惑”がある。2014年にジュフリーさんが米国の裁判で主張して以来、アンドリュー王子はそれを否定し続けていたが、追放の段階が進むにつれて疑惑は深まる一方だった。
追放の第一段階は2019年11月、アンドリュー王子自らセッティングしたBBCインタビューがきっかけだった。ここでアンドリュー王子が披露した穴だらけの釈明は、エリザベス女王からの信頼を失い、公務からの全撤退が決まるという完全な“墓穴”となった。
第二段階は2021年8月にジュフリーさんが米国で起こした民事訴訟だ。“疑惑”を認めていないが2022年2月に“和解”という奇妙な決着の後、エリザベス女王はアンドリュー王子の軍の名誉職および王室後援団体のパトロン職を剥奪(公的にはアンドリュー王子からの返上)し、「HRH(His Royal Highness=殿下に相当)」称号の使用を停止した。
そして今回の第三段階である。「王子」以外のすべてを放棄するに至った主要因は、これまでの嘘や姑息な手段が暴かれたことだった。それはたとえば、英紙「デイリー・メール」のリチャード・ケイ氏が「強欲で傲慢で卑劣で無知」と容赦ない言葉を浴びせるほどの行状である。