福岡市東区の「アイランドシティ」が今秋、まちびらきから20年を迎えた。当初は「売れない人工島」とやゆされた埋め立て地は学校や病院の開業、企業進出を後押しする市の交付金の効果で、1万6000人超が暮らす街に発展。成長を続ける福岡市の象徴的なエリアとなった。今月26日には現地で記念式典が開かれる。(後藤茜、中西瑛、原聖悟)【写真】埋め立て前の福岡市東区沖(1992年)=読売ヘリから
「緑が多く、小鳥のさえずりもよく聞こえる。何もなかった埋め立て地が、子どもの声があふれる元気な街になった」。アイランドシティの海辺の住宅街で今月上旬、白川正茂さん(79)が穏やかな表情で語った。
アイランドシティは、博多湾の海底を掘削する工事で出た土砂で東区沖の401・3ヘクタールを埋め立てる市の事業として、1994年に着工した。東側は住宅などの「まちづくりエリア」、西側は企業や港湾施設などの「みなとづくりエリア」とし、総事業費は約3940億円。2005年9月にまちづくりエリアに住宅ゾーンの「照葉のまち」がまちびらきを迎え、同年12月から入居が始まった。
白川さんは、海を望む景観が気に入り、18年前に早良区から夫婦2人で戸建てに移り住んだ。まちびらき当初の人口は約350人。島内にスーパーやコンビニはなく、島外に車で買い物に出かけていた。「市中心部と別世界。夜になると真っ暗だった」と振り返る。
生活環境が途上なことに加え、「疑惑の人工島事業」という負のイメージも住宅分譲に影響を与えた。
宅地開発が本格的に始まろうとしていた02年、ケヤキ・庭石購入を巡る特別背任事件が発覚。事業主体だった第3セクターの元社長らが逮捕された。
「数百戸の在庫を抱えながら月の販売戸数が片手で数えるだけという厳しい時期があった」。住宅の半数を供給してきた積水ハウス福岡マンション事業部の佐古田智哉・副事業部長は当時を思い返す。それでも、石積みや緑を使った自然豊かな景観にこだわり、「子育てしやすいまちづくり」を掲げ、地道に販売を続けた。